2016年6月3日金曜日


森園です。

作家リサーチ
 ジョンケージの4分33秒という作品になぜ自分は首を突っ込んでいるのか、わからないけど調べてみようというのが動機でした。
この作品は第3楽章まであり、
第1楽章 33秒 第2楽章 2分40秒 第3楽章 1分20秒 
 すべての楽譜がtacet=休みとなっていて指揮者も奏者も何もやりません
 273秒間の演奏でこの数字の意味するところは絶対零度の273度(無)からきています。という説がありますがケージはそんなこと言ったことないらしいです
 1950年、偶然性の音楽の最も極端な例として作られたこの作品は「音を音として解放する」、鈴木大拙の禅の影響からただ無音を聞くのではなく、その会場の様々な雑音、客の息遣いや咳、普段では全く意識しない音に心を向けさせることを意図しています。
 ケージは無音を聞くためハーバード大学の無音室を訪れた時、「2つの音を聞いた、1つは高く、1つは低かった」と彼がエンジニアに話すとそれは神経系の高い音、血が流れる低い音だと彼は語ったらしい、そのことより無音を感じることの不可能生から4分33秒が作られました。偶然性の音楽として、チャンスオペレーション(作曲段階での偶然性)ではなく不確定性の音楽(聴取、演奏での偶然性)から作品のコンセプトと絡ませていきたいと思っています。

作品コンセプト
 最近僕はきのこについて調べているんですが、目に見えないくらいの胞子が世界中に散り菌糸を伸ばし成長していきます、その現象は死んだものを処理するという意味で死の世界に通じた部分があり、死を含んだ生命のように思いました
 また、ブッダはきのこを食べて死んだとされていてそれはつまり自然死のことを意味しています(木がきのこによって枯死するように)
 胞子は世界を覆って世界中がきのこでできていてもおかしくないと思うんですがそうならない理由にはとても複雑な繁殖機能が関係しています
 胞子の種類には75種のメスと150種のオスがいてのそれぞれ2つずつあるいは4つずつが組んで初めて繁殖が起こります。
それは電話や今のテクノロジーと同じに思えました。秩序的なところからはきのこは出ずにいろんな異質なものが集まった場所で生えてくる。
 そういうところから興味を得て、非常にマクロな視点から偶然性という本質的なものに迫っていくとともに今一度初めに戻り生命体が現れて地球ではない場所に迷い込んだような、現象とはなんだろう、という体験ができるインスタレーションができないかなと考えています。

具体的な完成形
 巨大な泡の造形を作るためにグリセリンや界面活性剤を使って形態を保てる特別な比率を定める
 色や匂いもつけたい





0 件のコメント:

コメントを投稿